エッセイ
臆病日記
生まれたときから筋金入りの臆病だった。
初めて触れるものは何でも怖かったし、極度の人見知りですぐに泣いた。一度外に出れば、親の元から片時も離れられなかった。とにかく繊細で扱いにくい子供だったと思う。
小さな頃の私の臆病ぶりを代表するエピソードの一つにこんなものがある。
初めて保育園に預けられたときのこと、幼き私は生まれて初めての環境を受け入れられず酷く泣き叫んだのだという。先生たちがあやしても玩具を与えても何のその、母と再会するまで飲まず食わずぶっ通しで泣き続けたというのだからその凄まじさたるや。
「本当にびっくりしたわよ。他にそんな子いなかったし、こんなんでやっていけるのかしらって心配になった」
呆れた笑みを唇の端に浮かべながら、今でも母は時折その話をする。
先日二十歳になった。晴れて大人の仲間入りだ。何となく、二十歳にもなれば世の中の大抵のことには慣れてこの臆病もマシになっていくものだと思っていた。
だが何ということだろう。現在に至ってもなお、私には怖いものが山のようにある。
例えば、注射。
蛍光灯の光を反射するあの尖った針が腕に迫ってくるのが恐ろしすぎて毎回「ひい、ちょっと待ってください」と情けない声で懇願してしまう。
どうせ打たなければいけないのだからこんなダサいことを言うのはやめよう、とその度に誓うのだが、次に注射を打つときになるとすっかり忘れてまた「ひい、一回心の準備して良いですか?」とか何とか言ってしまう。だって怖いんだもの。
例えば、花火。
綺麗だし毎年夏になると見るのを楽しみにしているのだが、どうも花火のあの爆発音がダメなのである。花火大会に赴く際は耳栓が必須だ。でも耳栓をしていると花火だけでなく一緒に行った相手の声も遮断されてしまうからちょっとツマラナイ。どうしたものだろう、と思うのだが、苦手なものは苦手だからどうしようもない。
その他にも絶叫系のアトラクション、辛い食べ物、怖いニュース、初めて行く場所、などなど、私の臆病を発動させるアイテムは世界中のありとあらゆるところに転がっている。
高校生の多感な頃は、特に臆病が私の体を支配していたように思う。
三年生のとき、クラス変えで友達を作るのに失敗した。学校という小さな水槽の中一人で泳ぐだけの度胸は臆病な私にはなく、かといって惨めに思われるのが嫌で誰かにそれを相談することもできなかった。
とにかくその頃は友達のいない教室に向かうのが苦痛で、それでもしばらくは無理して通っていたのだが、ついにある日ぷつりと糸が切れた。
その日は学校に向かっていたはずが、気がつくと全く別の駅で電車を降りていた。学校以外の場所にいるという安堵と、サボりの罪悪感が混ざった感情を今でもよく覚えている。
その駅の近くには海が見える場所があって、私はそこで太陽が傾くまで海を眺めて過ごした。
その後は学校が終わる時間帯を狙い、何食わぬ顔をして家に帰り、親に架空の学校の話を聞かせた。そういう日が、何度かあった。いつかはバレてしまうことなのに、臆病な私は他にどうすることもできずにこっそりと学校をサボることしかできなかったのだ。あの頃の私の姿が、母から聞いた昔の自分と重なってとてつもなくいじらしく思えるときがある。
生まれたときから、私は筋金入りの臆病だった。
きっとこれからもそういう風に生きていくのだろうけど、たまにはそんな自分を抱きしめてあげたい。
執筆者
文芸学科3年 谷口小夏
この作品は2022年度エッセイ研究Ⅱの実習で制作されました。