創作物

小説

ちかちか

 あなたはまるで「無垢」を絵に描いたやさしい花のような人だった。

 夜の闇に沈殿している不確かなものに溺れる深夜二時半。ああ、このまま液体になってしまいたいなどという纏まらない思考を手繰り寄せ、黎明のまどろみの中に横たわったままの私の頭をそっと撫でるあなたの姿がぼやけた視界に映った。

「好きだよ」

 そう言った喉仏が震えたまま、あなたはゆっくりと去っていった。強烈な眠気の最中にいる私は、あなたに声をかけることさえままならなかった。これが現実なのか夢なのかも分からない。またこんな時間に一体どこへ行くのと心の中で語りかけながら、私は深い眠りへと落ちていったのだ。

ふと目が覚めたとき、私はまだ夢を見ていた。

目の前には冷たい石の監獄のような焼却炉に棺が運び込まれていた。私は乾いた眼をゆっくりと瞬き、とめどなく続く嗚咽や啜り泣きが聞こえる空間を見渡した。いかにも鎮痛に瞳を潤ませる礼服姿の参列者たちを横目に、棺が入った焼却炉の戸が二人の人間によって閉められた。

「収骨のお時間はおよそ一時間後となっております。お食事の準備が整っておりますので、皆様はご移動をお願いいたします。」

そう告げられ、周りの人々が足を引きずるような足運びで部屋を後にしていく。なんて気味が悪い夢なのだろうと眉間にシワを寄せた時、一人の中年女性が礼服から取り出した白いハンカチを瞼に押し当てながら咽び泣いた。その女性の手には、黒いリボンが巻かれた大きな写真が握り締められていて、笑顔のあなたが映っていた。

「どうしてあんな事故にうちの息子が巻き込まれて——」

 脳を圧迫するような状況から視線を逸らすも、一向に夢は終わらない。最後に聞いたあなたの薄れていく声音を反芻しながら私は外へ飛び出した。思い出す、夜明けのあなたの横顔を。思い出した、神様は綺麗な花ばかり摘むということを。

 

 ふと気がついたとき、夢からはもう醒めていた。

 あなたの声の響きが思い出せなくなって久しいが、あなたの身体の部分的なディティールをふとした瞬間に懐(おも)ってしまう。ふらふらと深夜に出歩く癖が抜けないところとか、あくびを噛み殺すときのちょっと間抜けな唇の動きだとか、だいぶぬるめに淹れた珈琲に牛乳を足してやっと飲める猫舌とか、そんなあなたの不完全さをいちいち心の内に取り上げてはゆっくりとなぞる時間が愛おしい。これはきっと「しあわせ」とか「やすらぎ」と同じかたちをしている。今思えば、あの時あなたは私の夢の中へお別れを言いにきてくれたのかもしれない。

 また今日もあなたのいない夜が明ける。カーテンの隙間からちかちかと光る火光(かぎろい)が差し込み、その穂先をあなたの遺した窓際のサボテンに薄く伸ばしたとき、あなたがいない世界を強く実感して心臓が鳴った。そうして私はあの時のあなたと同じように喉仏を震わせながら、今もその次も愛しいあなたがいない世界で寝返りをうつ日々が続く。

(執筆者情報)
文芸学科/吉田飛鳥
文芸研究III(谷村順一ゼミIII・2021)「800文字で書くオノマトペ」