現代詩の新シリーズとして、これからも学生の詩集や、戦中・
戦後の忘れられた詩人の詩集を刊行していく予定です。
【「実存文学叢書について」より】
詩は光のようなものだ。それ自体に何の価値もないが、
それがなければ私たちは生きることも、存在することもできない。
詩は暗闇のようなものだ。暗闇のなかで私たちは迷子になる。
だが迷子になって初めて、
帰るべき場所が何処かにあることに気づく。
詩という名の光あるいは闇を探し求めて、日本大学芸術学部の卒業生・学生とともに、学術叢書『実存文学』を創刊した。
「いつからか私たちは、喪失を自由と思い込み、大切なものを奪われていった――血は不幸を感じているのに、心に幸福を詰め込まれて。永遠を、永遠への意志を失った痛みを抱えながら、詩という愛しい凶器を手に、私たちは歩み出す。歴史の死を、人間の死を、文学の死をまことしやかに語る思想家たちを置き去りにして。これは新たなる「始原」への旅であり、私たちはそこで、歴史という水鏡を覗き込むだろう。そして、忘れられた自己の面影を掬い出すだろう。水子のように捨てられた実存を、私たちは抱き上げる。そして彼の願いを聞き入れよう――地上に美しい傷痕をつけることを」(『実存文学』創刊の辞)――この宣言から四年が経った。
『実存文学叢書』は、『実存文学』の発展版とも言うべきものだ。学生の詩集や、文学史の流れから零れ落ち、忘れられた人々のアンソロジーを刊行してゆく予定である。
『実存文学』が詩、小説、批評、翻刻等のさまざまな文章を詰め込んだ要塞のようなものだとすれば、『実存文学叢書』はそこから打って出る一人の兵士である。元よりそれは、狼の群れに一匹の羊が突進してゆくような、無謀な試みだ。だが、言葉は私たちに微笑みをかけると信じている。
私たちはいま、第二の「荒地」に立っている。一切が無に帰した焼け跡を「荒地」と呼び、そこから歩み始めた詩人たちが、私たちの原点にいる。鮎川信夫、田村隆一、吉本隆明……真に言葉を生き、真に愛と死を語ろうとした詩人たちが。
いま私たちが立っている地上に、「荒地」という言葉はそぐわしくないかもしれない。もはや傷つきようもないほどに、豊かさと優しさで満ち溢れたこの世界を、「荒地」と呼ぶこと――それは「いま・ここ」に生きる人々を否定することではないか? どんな「愛」も「憎しみ」も、多様性という名で肯定されているのに、本当の愛と憎しみを探そうとは、不可解な試みではないか? それとも世界は偽りでみちており、人々の想っている愛や憎しみは嘘であり、本当のことを告げる使命が自分たちにあるとでも言うのか?
然り、と私は答えよう。「思想的に祖先を持っていない」と鮎川信夫が告白したときから、事態は少しも変わっていない。ただ荒地派を初めとする少数の人々が、各々の抱く神の面影を、不器用にも語り伝えてくれただけなのだ。それ以後の空白の詩史は、私たちに何一つ語りかけはしなかった。だから私たちは、もう一度荒地に帰ろうと――否、荒地は荒地であると告げようとするのだ。
この地上が未だに荒地であるということを、私たちは単純な事実として是認する。「多様性」「多元性」という楽園が打ち立てられたとしても、根底にある人間のうめきを消し去ることはできない。偽りの言葉で紡がれた偽りの神々を前に、私たちは私たちの真実をひたむきに掲げる。
ここから生まれる言葉が、正しいか誤っているか、美しいか悍ましいか、神々しいか禍々しいかは、どうでもよいことだ。ただ私たちはこの言葉が、告げられなければならないと信じているのである。