藤宮若菜さん(歌人、2017年卒)

歌人・藤宮若菜の短歌がうつす人生観

藤宮さんはなぜ、短歌という表現を選んだのか。歌人の瞳にうつる世界を、どのようにして短歌に落とし込んでいるのか。これまでの体験や創作の過程から、歌集「まばたきで消えていく」に収録されている歌についてのお話を聞かせていただきました。

短歌を始めたきっかけは“才能がないことを認めたくなかった”から

──短歌を書くことは、藤宮さんにとってどういうものなのでしょうか。

 

藤宮さん:心の傷をえぐる行為です。短歌を作るということは、自分のメンタルがやられる作業だとすごく思います。でも、書かないでいるよりも、書いてメンタルがやられる方がマシ。どうして書かなきゃいけないと思うのかわからないけれど、書いてない時があると書かなきゃ、と思う。辛いことがあったとき、例えば人が亡くなったときには泣いたり悲しんだりすると思うけど、そういった儀式のひとつとして私は短歌を書いています。

  

──短歌を始めた時期ときっかけについて教えてください。

藤宮さん: 幼い頃から読書や書くことは好きだったんですけど、自分が書いたものを発表したり誰かに読んでもらったりしたことはありませんでした。
高校の課題としてコンクールに出した短歌がきっかけで全国の場に出ることになって、「私は短歌を書けば人から評価してもらえるんだ」と気づきました。

  

──コンクールに作品を出すまでに短歌を書いていたり、もともと歌集を読んだりしていましたか?

藤宮さん:全くなくて。五・七・五・七・七で構成されていることくらいしか知らなかった。
コンクールに作品を出したあともしばらくは他の人の短歌を読んだことはありませんでした。全国の場では短歌を書く高校生との交流もあったけど、話についていけなかった。
初めて短歌を書いた時は課題として提出しただけだったので短歌を始めたという感覚はなかったです。
短歌をちゃんと始めたいと思うようになったのは福島遥[1]さんの短歌に出会ってからです。福島さんの短歌は、私がそれまで短歌に抱いていた教科書に載っているもの、というイメージを変えてくれました。短歌に感動したというより、福島さんと同じ舞台で活躍できれば自分も認めてもらえるかもしれないという思いがあって。
もともと、私は承認欲求が強いんですよね。自分に才能がないということを認めたくなかったんだと思う。だから、大学生の前半は焦りがすごかったです。私には短歌しかないから、これでダメだったら自分には才能がないことになってしまう、と。

  

──ご自身の言葉の豊かさは何から得たと感じていますか?

藤宮さん:読書をしてきたことは長い文章を書くときや難しい言葉を知るというのに役立ったと思います。
短歌のことでいうと、私はバンドがものすごく好きなので、曲の歌詞とか、他の人の詩や短歌からですかね。

 

 

[1] 福島遥:フォーク・ロックユニット、ハルカトミユキのボーカル・ギター。穂村弘に影響を受けて短歌を始め、歌集を自主出版している。

 

日芸は自分のやりたい表現を一生続ける道を当然のように選択できる場所

──日芸を進学先に選んだ理由はありますか?

藤宮さん:第一志望に落ちたからです。日芸に来る人って二つに分かれますよね。絶対に日芸に入りたいと思って来る人と、そういう人をちょっと冷めた目で見ている、志望校に落ちて行く場所がここしかなかったから仕方なく入って来る人。
本当は憧れの人の母校を志望していたんですけど、そこに落ちてしまって。結果的には日芸に通えてよかったなと思います。

──当時履修していてよかったなという授業はありますか?

藤宮さん:福島泰樹先生という有名な歌人の先生の詩歌論です。授業外の指導や福島先生の短歌の会に参加させてもらえたことなど、先生と関わりを持てたことがよかったです。あと、浅沼先生の授業ですね。二年生から四年生まで浅沼先生の授業をとっていたんですが、連句の授業が一番面白かったです。短歌で使う脳の部分を毎週フルで使うので、どうにか言葉を捻りださないといけないという緊張感がすごかった。

──日芸での経験がご自身の創作に活きたと感じることはありますか?

藤宮さん:他の大学に行っていたら得られなかったと思うのが、本を出版したり、自分がやりたいことだったりを一生続けていくということを当たり前だと思わせてくれる環境があること。もし普通の大学に通っていたら、ちゃんと大学に行ってちゃんと働いて、短歌を学生時代の趣味だったよね、と一言で片付けてしまえるような普通の人生があったかもしれないけれど、そうじゃない選択を当たり前のようにできたのがよかったですね。

──ご自身の思い出を短歌の題材にすることは多いですか?

藤宮さん:自分自身の体験ではない、空想のような短歌を書かれる方も多いと思いますが、私はやっぱり短歌が好きというよりも、自分のことを表現して自分をどうにかしなきゃという思いが強いので、自分に関係のないことは書けません。書きたいものと書きたくないものを区別するような美意識が自分の中にあると感じています。
以前、短歌の書き方についてラジオで話す機会があったんですけど、具体的に自分がどういう風に短歌を書いているのか人に説明するのって本当に難しいですね。書きたいことがないなら書かなくて良いだろうし。

 

──書かなくても生きていけるなら書こうとしなくてもいい、という感じでしょうか?

藤宮さん:本当にそう。どうしても短歌を書きたくて書いているわけじゃなくて、短歌を書かないといられないから書いているだけ。そんな風に思わない人生の方がいいなと思います。

 

──歌集を読んでいても、フィクションとしての創作ではなく、事実や経験が綴られた日記みたいなものだという印象を受けました。

藤宮さん:そうですね。この連作を書いた時はこういう気持ちだったなあってリアルすぎて読まれたくないのもあるんですよ。過去の恋愛のこととか、酔っ払って書いたこととか、裸を見られる方がマシだなと思う歌も中にはありますね。歌集を読み返すと、自分でも生々しい日記を読み返している気分になります。

 

生きること。死ぬこと。創作と切り離すことのできない死生観

──読者として、死の気配や“おわり”を想起させる歌が多い印象を受けました。藤宮さんご自身が抱えている喪失感と向き合い、死について考えるということは、つらくはないですか。

藤宮さん:めっちゃしんどいです。辛いことがあったときに限らず常にそういうことを考えてきたので。そもそも、十九か二十歳になる時に絶対死んでやる、と思って生きていました。私は生き死にの他に、若さへのコンプレックスみたいなものを抱えていましたね。才能は若ければ若いほどいい、みたいな。

  

──十で神童、十五で天才、二十歳過ぎればただのひと、という感じでしょうか?

藤宮さん:そんな感じで、本を十代のうちに絶対出すと決めていて。というか出さないといけない、十代で出さなかったら終わりだと思っていました。
同じゼミの子と集まって死生観や哲学の話をしていて、そのうち自分は死ぬんだろうなあと思っていたんですけど、気づいたら周りの人がどんどん死んでいくんですね。そしたら、自分はもういいかなって。親しい人の死と向き合ってみて、自分のいる場所は生きている側なのかなって、二十四歳くらいになって思ったばかりですね。自分の人生のテーマと創作のテーマが生きることと死ぬことなのかなと思います。

  

──歌集からは周りにいる人を失う経験の濃さを感じました。

藤宮さん:そうですね、病気とか老衰とかそういうわけじゃなくて、自殺をしてしまうひとが多くて。なんなんだろう、と思いますね。今にも自殺しそうな人と仲良くしてたつもりは全然なかったんですが。ただ親しくしていた人たちが死んでいくのは悲しくて、自分に何か原因があったのかなって、そんなのなくても考えてしまうなって。
それまで承認欲求が先行していたけれど、死んでしまったものたちに対する気持ちが短歌に現れるようになってようやく短歌を書くことが体に馴染んだように思います。

  

──多くの人にとって死について考える時間はとても苦しいものだと思います。死について考えるだけにとどまらず、それを題材に創作ができる藤宮さんの精神力や体力には脱帽しました。

藤宮さん:死について考えざるを得ない状況で、かつ、短歌をやって自分の才能を信じないといけない状況でもあった。苦しいなら短歌なんかやめて普通にしていればいい、と家族に言われたこともありました。確かにそうだけど、私は死について考えなければいけないし、短歌をやらなければいけない、という強迫観念みたいなものをずっと抱えています。

 

歌集「まばたきで消えていく」収録作を読みほどく

2021年6月7日発売 書肆侃侃房<br /> 2021年6月7日発売 書肆侃侃房

“ 天才じゃなくても好きっていったことごめんね きれいなドライフラワー ”

 

藤宮さん:一番気に入っている連作は『天才じゃなくても好き』です。
天才と天才じゃない、ということをだいぶ考えました。人って物凄いものを見たときに神聖的な目で見ちゃうじゃないですか。長い間近くで見てきた憧れの人に対して、実際ただの人だと感じてしまう瞬間があって。それを認めたくない自分と、どう見ても普通の人だと思う自分。天才じゃなくても好きって言いたいけど、もし自分がそう言われたら傷つくし、そのくせそう言われたい時もあるし……。酔っぱらって散歩をして、泣きながら書いた連作です。

 

 

すごい雨。ってきみがわらう 明日だって明後日だってわたしがすごい雨になるからわらって 

 

藤宮さん:これはこういう意味で書いたんですよねって読んだ人が考察してくれることってあるじゃないですか。どの歌もそうなんですけど、そう思ってくれるならそれで良いというか。例えばこの歌だったら、君がすごい雨って笑ってて、だったら私がすごい雨になるから笑って欲しいなって思ったから書きました、ってだけなんですよ。

  

 

心。  やわいとこに隠しておく 霧雨のなかを駅まで走る ”

 

藤宮さん:これもそのままです。友達が死んだという連絡が来た日のことで、霧雨が降っているなか用事があって走っていたんですけど、いま抱えている気持ちをどこか柔らかいところに隠しておかなきゃ、と思って。

  

 

戦闘機乗って死んだりしないから若菜が女の子でよかった ”

 

 ──この歌にはご自身の名前が登場しますが、実際に誰かから言われたことなのでしょうか。

藤宮さん:実際に言われたことではないですね。戦争のことを考えていて、好きな人には戦闘機に乗らないで欲しいなと思って。当時好きだった子が女の子だったので、女の子は戦闘機に乗って死ぬことはないからよかったなあと思うけど、誰かが戦闘機に乗らなくてはならない状況は良いこととは言えないし……。

 

人生を懸けた初の歌集を出版したいま、何を思うのか

藤宮さん:書き終えた頃は全部出し切っちゃって、燃え尽きたように何も書けなくなりました。これまでずっと死について書いてきたけど、抱えていた希死念慮みたいなものも大人になってかなり薄れてきて。死に対する自分の考えとか死のうと思っていたことについて言いたいことはもうないかな。

  

──自分の中でやり切ったという感覚が強いのですね。

藤宮さん:一区切りつけたし、これから何を書こうかなと。もうやめちゃってもいいんですけど、まだ短歌を書こうとしている自分を見る限り、他にも何か書きたいことがあるんだと思います。

  

──そういうお話を聞くといつか出るかもしれない新しい本が楽しみになります。

藤宮さん:自分の作風が全然変わってしまうのではないかという怖さもあります。

  

──歌集を出すごとに作風が変わるのも面白いと思います。

藤宮さん:そうだといいな。「やっぱりファーストアルバムが一番良い!」っていう現象を、今回身を以て感じました。良し悪しというのは技術じゃなくて、死ぬ気で、人生を懸けて作ったという過程から見えるんじゃないかな。
次に本を出すとしたら二、三年とか、アルバムだったらもっと早いけど、ファーストって本当に人生を詰め込んでしまうから……。私の短歌の感じから伝わると思いますが、私は辛いことを昇華するために短歌を書いているので元気な時には全く書けないんです。だから、短歌を書こうとすると、こうすれば気分が上がりそうだなっていうのがわかっても沈めたままでいなきゃいけない。本末転倒ですけどね。

  

──改めて、藤宮さんが身を削るように短歌を書いていらっしゃるのが伝わりました。

藤宮さん:少し前までは自分が死について考えなくなるのがすごく恐ろしかった。でも今はあまり死について考えなくなって、最近は元気なので短歌は全然書けてませんね。

  

──元気なことは本来いいことなんですけどね。

藤宮さん:普通の人と思考が逆転していますよね。元気だから○○できない、みたいな。
二十代のうちは自分から気持ちを落として作るのもいいかなと思うんですけど、三十代からは明るい、幸せそうな歌を書くのもいいのかなと思います。
本を一冊出すまでは死ねないと思っていたんですけど、実際に本を出す頃には元気になっちゃったので。人間の頭って難しいですね。

 

執筆者情報

文芸学科/宮澤優香
※この記事は2021年度「ジャーナリズム実習Ⅱ」において制作されました。